原付で沖縄への貧乏旅!日記5日目

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リさんには申し訳ないが、今日は一人時間をもらって、色々回ってきた。

今日は完全に、昔過ごした山口県防府市の牟礼地区の思い出探し。
ここ、山口県の防府市は父の転勤で
昭和64年/1987年 4月から
平成2年/1990年 3月までの4年間を過ごしたことがある土地。
今思うと日本のバブル期真っただ中の一番いい時代だったのかもしれない。
とてもいろいろ懐かしい思い出ばかりの土地だ。
ノリさんには申し訳ないが、今日は一人時間をもらって、色々回ってきた。

 小学校4年生から3年間通った防府市牟礼小学校
あの、山崎まさよしさんが少し上の先輩であることが後に分かる。
中学も牟礼中で一緒。
前田吟さんはかなり上の大先輩だ。残念ながら中学は国府中だったようで中学は先輩ではないらしい。

小学校4年から中学1年までの4年間過ごした山口県防府市牟礼中西地区


毎朝、通った土手道。
黄色い帽子に慣れない制服を着て、集団登校。
田んぼのあぜ道を歩いて登下校なんて、千葉の柏で育った身としてはとてもカルチャーショックだった。今となってはとてもいい思い出。
夏の土手は、青々と雑草が茂っていて、蒸れた草花の匂いと、虫の鳴き声が混じった
何とも言えない、自然いっぱいの空気が漂っていた。
ドクダミ草や梅雨のあとに伸びきったツルの茎を切って、ペチペチ土手に生えている雑草を叩きながら歩いたあの土手は、今になってもまだ忘れられない思い出だ。

丸久
あの頃、そうビックリマンが流行ったあの当時、よく丸久というスーパーに買いに行ったっけな
お金もそんなに持ってなかったし、箱買いしている友達がうらやましくて仕方なかった。


犬の散歩道。毎日良く散歩したなぁ。
小学5年生の頃、ずっと犬が飼いたかったのを知っている母が、ある日近くのお寺で飼い主を募集している雑種の子犬がいたらしく、それをこっそり一匹、もらってきてくれたんだ。
弟と俺は嬉しくて仕方なかった。
まだちっさな子犬は、あっという間に家族の一員になった。
まだ生まれてちょっとしかたっていなかったのか、しばらく玄関で飼っていたが、ミルクをあげたり、残飯あげたり、ずっと玄関にいりびたって、一緒にいたっけな。
名前をどうするか、家族会議したけども結局その時、弟が泣いてまで「マリー」が良い!と押し切ってメスのその子の名前はマリーになった。
当時「マリリンに会いたい」という犬の映画があったが、あれに影響を受けていたのは否めない。
そんな弟はまだ小学2年生だった。


実家に立ち寄ったが、もう雑草が激しく。誰も住んでいない。
父の会社の社宅だったので、転勤で来ている人がいないわけで、誰も住んでいなかった。
もう我々家族がここを立って、父が1年多く単身赴任で過ごしていたので、空き家になって8年経っているわけだ。この家にはとてもお世話になった。
屋根の上に登ったり、たった、本当にたったの4年間の出来事だったけど、とても大きな思い出だった。


学校から帰ったら毎日夕方遅くまで遊んでいた中西地区の街並み
まぁ、よく考えたら田んぼばかりのところで、よくもまぁあれだけ遊んでいたなぁ。
当時ミニ四駆が流行っていてね、ムレホビーというプラモデル屋さんというかおもちゃ屋さんのところにいって、いろんなパーツを買って自分のマシンをいじるのが楽しかった。
聖闘士星矢のプラモデルもここで良く買ったっけな。


牟礼中学校
中学1年まで在籍し、その後千葉の柏に戻ることになる。
ここではバスケット部に所属。
スラムダンクより、DEAR BOYS派です。
山崎まさよしさんとは6年差があるので、一緒には過ごしていません。


そんなこんなで昔過ごした街を堪能し、防府の駅前まできたけどあまりに変わり過ぎてもうわからなくなっていた。
でもちゃんと山頭火は健在でした。

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