ふと、自分の幼少期を思い返し、昨今の日本の経済との比較を自分なりに記憶の備忘録として残してみようと思った。
言わずとも知られているファミリーコンピューター、通称ファミコン
1983年7月15日に任天堂から発売された。

まだ小学生の低学年の頃、昭和の少年たちの遊びといえば、公園で木登りや缶蹴り鬼ごっこ
今みたいに物騒な世の中ではなく、親が常に見てなくても平気で子供たちだけで公園で遊びまくって、夕方暗くなるまで走り回っていた。
キャプテン翼でサッカーが流行ったり、プロレス自体は良くわからなかったけどキン肉マンが流行った。そんな中、14800円で当時発売されたゲーム機は当時の少年達の学校から帰ったあとの遊び場を代えていった。
一般家庭にでも手に入れられる料金になったゲーム機は、(当時は小学生だったのでアーケードのゲームの存在は知らなかったが)瞬く間に広まり、それこそファミコンを持ってないと友達と遊べない。なんて言い訳をして買ってもらった少年たちもいたのではないかというくらい、一家に一台(いいすぎかも)のような一大ブームだった。
正直ファミコンが流行る前も、各メーカーからゲームウォッチが流行った時期があったのだが、私はまだ小さすぎてあまり記憶がない。幼稚園くらいだったかピコピコ手元で動かすゲームをなんとなく覚えているが、名前やメーカーはでてこない。(※1)
ちょっとお金持ちの友達の家に行くと、折りたたみ式のリッチな任天堂のドンキーコングのゲームウォッチやパックマンがあって、羨ましかった。


そんなある日、我が家にもあのファミコンがやってきたのだ。忘れもしない。といっても小学校低学年なので記憶は微妙だが、父が帰りに突如買ってきてくれたのだった。当時「買って!」ってせがんでたかどうか記憶がなく、フラッと、父が買ってきたソフトは、あのドンキーコングとF1だった。


買ってほしいソフトがあれば、きっとせがんだ記憶があると思うのだが、まだファミコンの存在を自分が知る前に父が買ってきてくれたような気もしている。もう父は居ないので確認しようがないが。
(※ドンキーコング時代のマリオ、かわいくないねw)
当時は弟と交代しながらやってたんじゃないかな。弟もまだ幼稚園児だったはず。
親が厳しかったからか、週に2時間しかやらせてもらえなかった。一日ではなくだ。なので、ファミコンといえば友達の家でやらせてもらっていた記憶のほうが多くある。
今思うとせっかく買ってもらったファミコンもったいなかったんじゃないか?子どもの俺達が寝静まった頃に、もしかしたら父がやってたのかも?少なくとも、日中は父は仕事だし、低学年の頃は夜9時には寝かされてたのでその後どうだったのかわからない。これも父が生きていいるうちに聞いておけばよかったな。
まぁ、そんな我家の事情はどうでもよく、要は友達の家でみんなで集まってゲームするというのが当時の小学生の学校から帰ったあとの遊び方だった。今みたいにお塾に行きます!みたいな少年は本当にごく一部の良いところのお坊ちゃんだったのではないだろうか。
その頃全国の少年たちがハマったのがマリオブラザーズ。まだファミコンブームの初期だと思う。
いわゆる「◯し合い」なんて言って、二人で協力してクリアするより、1コン、2コンでマリオとルイージで敵キャラに当てさせる、避ける。みたいな遊びをして楽しんでいた。

のちにマリオがブレイクして「スーパーマリオ」として大流行するわけである。こう考えるとやっぱり、ドンキーコングやマリオの生みの親の宮本さんはすごい人だなって思う。ゼルダもしかり。
今思うと、日本もまだ景気が良く、イケイケだった時代な気がする。1980年代。
世界的にはもうすでに、1973年のオイルショックで傾き始めていたはずなんだが。自分の幼少期を考えると、今よりも数倍日本は活気に溢れていた気がする。日本製品が海外で売れ、日本に外貨が入ってきたのが大きかったのだろう。オイルショックが逆に追い風となったわけだ。いわゆる日本のバブル時期。まさに民主主義、ネットもケータイもなく、情報を取得するという意味ではとても今よりも不便だったけど、日本人、皆がもっと活力持って生活していたと思う。
そんなファミコンブームの初期に出会ったのが後に自分の人生に大きく影響を与える「ドラゴンクエスト」に出会うことになる。

友達のお兄ちゃんがプレしている後ろで、じっと眺めていた記憶がある。
今思うとメイジドラキーや死霊の騎士と戦っていた友達の兄ちゃんはある程度、レベルも強かったんだろ思う。ダンジョンに入ると、松明をつけないと周りは真っ暗。階段を降りると、音もなんだか低音になって心細くなる。小学生低学年の頃の少年はまさに友達のお兄ちゃんと、ブラウン管の中にいる主人公とともにダンジョンの中を冒険をしていた。
主人公は、冒険とともに成長し、それを経験と呼ぶ。
経験を積めばレベルが上がる。自分のパラメータと共に呪文というスキルを覚える。モンスターを倒したときに手に入るゴールドで、強い武器や防具を購入して自分を更に高めていく。
そんな成長システムが当時の私にビビッと刺さったところだった。
戦って壊れてしまってもゴールドが半分になるペナルティはあっても自分のパラメータは減らない。
この思想って大人になった今でもとても大事なことだと思っている。
人間の成長を物語っており、学校や仕事でも失敗はつきもの。失敗してもまぁその時は、やっちまったと自分を戒めたり、責任という意味でなにかしらペナルティがあるケースもあるかもしれない。
でもね、失敗した経験はなくならないし消えない。お気の毒ですが、冒険の書1は…なんてかなしいことはない。むしろその積み重ねで人は次にステップアップできると思うの。
そんな人生の縮図ともいえるRPGの冒険の楽しさと経験すること(見て聞いて考え、次に活かすという力。そしてその経験は自分の成長を裏切らないという)何かとても大切なことを、なんとなくだが小学生低学年なりに、当時の自分の心に刺さった部分があった。
そんなRPGの楽しさを、コマンド形式でユーザー操作(UX)が可能な形で当時の少年たちに届けてくれた堀井さんのおかげだと思う。
あとはやっぱり鳥山先生のイラストだよね。
当時の少年たちがハマった漫画が「ドラゴンボール」。でも多分まだドラクエ1のころは鳥山先生はアラレちゃんを描いてたんじゃないかな。
自分も、学校の自由帳には悟空をいっぱい描いてたなぁ。絵を書くのは好きだった。

ドラクエ定番の、ぱふぱふもまだドラゴンボール初期の頃に亀仙人がブルマや若いギャルに。。。って言ってた頃だから、昨今の若いドラゴンボールファンはきっと知らないんじゃないかな?

そんな鳥山先生のおかげで、あの8ビットのドット絵を頭の中でドラゴンボールの世界のように自動変換し冒険をしていたんだと思う。
次に音楽。すぎやま先生
当時のSONYのラジオカセット(俗に言うラジカセ)にカセットを入れて、ブラウン管のテレビから流れる(序曲)BGMを録音して、ビニール袋に被せてお風呂の中で目をつぶって聞きながら冒険を妄想して茹だってのぼせてた。録音中に、「ごはんよー!」なんて母親の声が聞こえたときには、もう、録音中なんだから!なんて撮り直しをしていた小学生2・3年生の頃の話。
当時LINE入力みたいなのあったのかな?テレビ側にもそんな出力なかったような気もするけど。まぁそもそもそこまで理解できるような年ではなかったという思い出。
まだ、オーケストラのCDなんかもレンタルが始まる前の時期だったと思うんだ。多分まだカセットとかで売られてた時代だと思う。
実際にドラクエのオーケストラのCDを借りたのは中学生の頃、ドラクエはもう5くらいまで出てた頃に初めて蔦屋で借りた。
まだTSUTAYAのロゴは蔦屋って感じだったと思うし、今みたいに図書館でCDも借りれる時代じゃなかったからゲーム音楽をオーケストラで聞けるなんてとても貴重なことだったんだと思う。
その後、ファミコンもディスクシステムがでたり、ジョイスティックなどの追加デバイスで遊べる機器が出たりと幅広く、いろんなアイデアが日本中で出ては作られ、一部ではクソゲーと言われつつも、沢山の遊びと思い出を当時の小学生、中学生、はたまた社会人の人たちに残していったのである。
自分はスーパーファミコンの途中くらいから徐々に中学生→高校受験などで、ゲーム機から一度離れ、高校入学後、改めてプレイステーション、セガサターンという新たなゲーム機の切り替え時代を経験するのだが、やっぱりファミリーコンピューターは思い入れのあるゲーム機だってこと。
で、そんなファミコンを最近メルカリで手に入れてしまった。というのがこの文章の締めくくりである。当時の少年で今50前後のおっさんなら知ってると思うけど、初期の■ボタンのファミコンが手に入りました。RFからコンポジット化して今の時代のモニターにも繋げられるように改造をしてもらうと検討中。使えるようになったら、息子と昔のクソゲーなるものをやってみるかなー。
※1:あらためてネットでなんとなくの記憶から調べたら見つけた。
多分、任天堂のゲームウィッチが高くて買ってもらえなかったのか、親か祖父祖母どちらかが買ってくれたのがこの電子ゲームだった。ブルドッグが打ってくるビームを避けつつ、穴の小ペンギンを助ける感じだったと思う。塞がれた穴は入れない。シンプルにビームのスピードが早まる。穴の蓋が増える。といったゲーム企画だと思う。

調べたら、メーカー:株式会社タカトクトイス 『ペンギンギン』という電子ゲームでした。
更に調べたら、こちらの方がお詳しく記載されています。
勝手にリンク貼ってしまってすみません。
週刊電子ゲームレビュー「ペンギンギン」
記載されている内容によると
1983年と、電子ゲームブームの比較的後期に発売された
とあるので、ブームからは後追いだったのかもしれません。我が家はこうしてみると、世間のゲームウォッチブームからは少し遅かったのかな。。。私もまだ小学生になってない頃ですし、ゲームゲーム!ってそこまで親にせびってなかったのでしょうね。
そう考えると、保育園の頃からマイクラで3Dの世界をクラフトしまくって、VRでゲームしている自分の息子を見ると、時代の流れというか、あまりに遊び方が異なってて驚いてしまう。


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